1. HOME
  2. 支援成果論文
  3. 主要論文の解説文
  4. 生理機能解析支援
  5. 長期記憶しやすい時刻の発見とその脳内の仕組み

長期記憶しやすい時刻の発見とその脳内の仕組み
―長期記憶の日周変化はSCOPを介して制御される―

東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 清水貴美子

Kimiko Shimizu, Yodai Kobayashi, Erika Nakatsuji, Maya Yamazaki, Shigeki Shimba, Kenji Sakimura, Yoshitaka Fukada 
SCOP/PHLPP1β mediates circadian regulation of long-term recognition memory.
Nat. Commun. 7:12926 doi.org/10.1038/ncomms12926 (2016)

https://www.nature.com/articles/ncomms12926


一日のうちの時刻によって、記憶のしやすさに違いがあるのではないかと考えられていますが、これまで、それが体内時計によって制御されているのか、また、どのような仕組みで記憶しやすさが変化するのか、わかっていませんでした。私たちは、マウスを用いて一日の様々な時刻に新奇物体認識テスト(マウスが積み木の形を覚えているかどうかのテスト)をおこない、学習から24時間後のテストで長期記憶を測定しました。その結果、学習する時刻によって記憶のしやすさが大きく異なり、マウスの活動期の前半(夜の前半)に記憶が最高に達することを見つけました。このような長期記憶の日内リズムは、体内時計の発振中枢である視床下部視交叉上核を破壊すると消失したので、記憶リズムは視交叉上核の体内時計に支配されていることがわかりました。学習とテストのどちらのタイミングが記憶形成に重要であるかを調べたところ、学習のタイミング(活動期の前半)が記憶形成に重要であり、テストのタイミングには影響を受けないことがわかりました。一方、短期記憶では、一日を通して一定の記憶力を示しました。

 次に記憶リズムにおける海馬の役割を検証しました。視交叉上核で発振した時刻情報は神経ネットワークやホルモンを介して全身の様々な部位に伝わります。多くの末梢組織もそれぞれ時計機構を持ちますが、記憶を司る海馬にも時計機構が存在し、この海馬時計も視交叉上核に支配されています。そこで、海馬のBmal1 遺伝子を欠損させたマウスを用いて記憶テストを行いました。Bmal1は体内時計の振動に必須なので、海馬Bmal1欠損マウスは海馬時計を失いますが、視交叉上核の中枢時計は影響されないので活動・休息の日内リズムは正常です。海馬Bmal1欠損マウスは何れの時刻にも長期記憶がみられず、海馬時計が長期記憶リズムを生み出していることがわかりました。

 これまで、海馬の長期記憶にはSCOPというタンパク質が重要な役割を果たすことをすでに明らかにしていました(Shimizu et al. Cell, 2007年)。 (i) 学習刺激が海馬に入ると、神経細胞内のCaイオン濃度が上昇し、タンパク質分解酵素であるカルパインが活性化します。(ii) 活性化したカルパインはSCOP を分解し、それまでSCOPに結合して抑制されていたK-Ras がGTP結合型になり活性化します。(iii) 活性化したK-RasはさらにERK カスケードの活性化を介して長期記憶形成に導くCRE依存的な遺伝子を転写活性化します。このようにSCOPは、海馬の長期記憶システムの上流に位置していることがわかっていました。今回、海馬の膜ラフトとよばれる細胞膜画分のSCOP量が活動期の前半に最大になり、膜ラフトでSCOPと結合しているK-Ras量も同じ時刻にピークを示すことがわかりました。これらは長期記憶リズムのピーク時刻と一致しました。海馬のScop遺伝子をノックダウン(発現抑制)すると、長期記憶できるはずの時刻、つまり活動期の前半でも記憶できなくなるので、SCOP量の日内リズムが長期記憶リズムの形成に重要であることがわかりました。さらにSCOPの作用機序を解明するため、活動期の前半または休息期の前半においてマウスに新奇物体を呈示(学習)した後、海馬のERK活性を調べました。その結果、休息期前半での学習ではERKがほとんど活性化されないのに対し、活動期前半での学習刺激はERKを著しく活性化しました。このような、学習刺激に惹起される海馬ERKの活性化は、Scop欠損マウスでは消失しました。さらに、培養した海馬細胞において、Caイオン流入を引き起こす刺激がSCOPの分解を介してERKを活性化することも確かめました。以上の結果をまとめると(添付図)、学習前のマウスの海馬では、海馬時計の制御により膜ラフト内の SCOP 量が昼夜で大きく異なり、それに伴い SCOP 結合分子である K-Ras の量も夜(活動期の前半)に多くなります。このタイミングで学習の刺激が入ると、SCOP の分解に伴って多くのK-Rasが遊離されて活性化します。その結果、より多くのERKが活性化し、CRE依存的な記憶関連遺伝子の転写が強く誘導されて長期記憶につながると考えられました。つまりSCOPは、海馬時計から時刻情報を受け取り、これを記憶システムに伝える、という働きをしていることになります。

 ヒトでも記憶しやすさに日内変化があることは知られており、今回発見したメカニズムはヒトの海馬にもあてはまると考えられます。ただし、長期記憶のピークが活動期の前半だとすれば、夜行性のマウスに対して昼行性のヒトでは、長期記憶の学習効果のピークは昼の前半(午前中)にあたります。このような長期記憶の日内リズムを利用して、より効率よく学習効果を上げることが期待されます。

Page Top