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個体発生時に組織特異的な遺伝子発現を導き出す仕組みの解明
− MCRIP1による肺サーファクタント遺伝子のエピゲノム制御 −

東京大学医科学研究所 武川睦寛

Weng, JS., Nakamura, T., Moriizumi, H., Takano, H., Yao, R., and Takekawa, M.
MCRIP1 promotes the expression of lung-surfactant proteins in mice by disrupting CtBP-mediated epigenetic gene silencing.
Communications Biology, 2: 227 DOI: 10.1038/s42003-019-0478-3 (2019).

https://doi.org/10.1038/s42003-019-0478-3


ヒトを含む多細胞生物は、発生過程で一つの受精卵や幹細胞から特定の機能に特化した多様な細胞を創り出し、最終的に様々な器官や臓器を形成しています。個体発生におけるこの様な細胞分化は、各々の臓器・組織や細胞種に依存した特異的遺伝子発現制御に基づいて起きています。特に、生体内で酸素と二酸化炭素を交換する場である肺胞には、界面活性物質(肺サーファクタント蛋白質:SP-BおよびSP-C)を分泌して、肺胞内面を覆う水の表面張力を打ち消し、肺胞を膨らんだ状態に保つのに必要な、特殊な細胞(2型肺胞上皮細胞)が存在することが知られています。しかしながら、肺の発生過程で、肺サーファクタント遺伝子の発現がどの様にして制御されているのか、その分子機構は殆ど分かっていません。

MCRIP1は、転写抑制共役因子CtBPと特異的に結合し、その機能を阻害する分子として、2015年に当研究室で同定した新規ヒト遺伝子です(Ichikawa K et al., Molecular Cell, 2015)。私達はこれまでに、MCRIP1が広汎な組織に発現しており、CtBPの制御を介して癌の転移に関わる上皮間葉転換などの現象に寄与することを明らかにしてきました。一方で、胚発生におけるMCRIP1の役割に関しては、これまで全く分かっていませんでした。

本研究では、発生におけるMCRIP1の機能を明らかにすべく、先端モデル動物支援プラットフォームの支援のもと、Mcrip1遺伝子欠損マウスを樹立して解析を行いました。その結果、Mcrip1-/-マウスは、野生型マウスと比較して明らかな形態異常を示さなかったものの、その殆どが生後直ぐに、あえぎ呼吸やチアノーゼを呈し、出生後数時間以内に呼吸不全で死亡することを見出しました。さらに、その原因について組織学的解析を行ったところ、Mcrip1-/-マウスでは、2型肺胞上皮細胞(ACE2)から分泌される肺サーファクタント蛋白質(SP-BおよびSP-C)の量が、mRNAレベル(図a)でも、蛋白質レベル(図b, c)でも有意に減少しており、その結果、肺胞が十分に拡張できずに呼吸不全に陥っていることを見出しました。即ち、Mcrip1-/-マウスは、ヒトの新生児呼吸窮迫症候群と全く同じ病態を呈して死亡していることが分かりました。次に、この表現型の基となる分子機構を解析した結果、1)MCRIP1が肺発生の初期段階から肺上皮内に高度に発現していること(図d)、また、2)MCRIP1がCtBPと特異的に結合することで、CtBPとFoxp1/2(肺組織内で高発現している転写抑制因子)からなる転写抑制複合体(CtBP-Foxp1/2 complex)が形成されるのを競合的に阻害し、結果として、肺サーファクタント遺伝子の転写抑制を解除する作用を持つことを見出しました(図e)。実際にMcrip1-/-マウスでは、Foxp1/2-CtBP複合体がSP-B/C遺伝子プロモーター上にリクルートされており、周辺のヒストン修飾が変化して転写抑制型の異常なクロマチン構造になっていることを確認しました。

以上の結果から、肺胞上皮細胞内で、MCRIP1がFoxp1/2-CtBPの分子間結合を選択的に阻害することで、肺サーファクタント遺伝子の誤ったエピゲノム抑制を防ぎ、出生時の正常な肺呼吸を保証する役割を担っていることが明らかとなりました。上述の様に、Foxp1/2は転写抑制共役因子CtBPと結合すると転写抑制因子として機能し、標的遺伝子の発現を強く阻害することが知られています。その一方で、Foxp1/2は転写活性化共役因子とも結合することが明らかにされており、その場合は転写因子として機能して、肺の器官形成に必要な遺伝子群の発現を促進する作用を持つことが示されています。しかしながら肺上皮において、Foxp1/2がどの様にして正しい結合相手を選び、組織特異的な遺伝子発現を実現しているのか、その分子機構は全く分かっていませんでした。本研究により、肺上皮に高度に発現するMCRIP1が、Foxp1/2と結合するパートナー分子を、CtBP以外の転写共役因子に限定することで、Foxp1/2の機能を調節し、組織特異的な遺伝子発現を導いていることが明らかとなりました。新生児の呼吸器疾患には、新生児呼吸窮迫症候群のみならず気管支肺異形成症(BPD)など、様々な疾患がありますが、これらの疾病の病因・病態は殆ど明らかにされていません。本研究の知見をさらに発展させることで、これら小児呼吸器疾患の病因・病態の理解が深化すると共に、新たな治療法や予防法開発への応用が強く期待されます。

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